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異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

「JAPANESE ONLY」の定義は何なのか

「JAPANESE ONLY」という言葉。こういう事件が起きると悩まずにはいられない。それは「日本人」とは何なのかという問題である。

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以前、相撲に関するニュースで「日本出身の力士」という言葉を見かけたことがある。「日本出身の力士」の健闘を称える、何気なく書かれたものだと思うが、筆者はこの言葉に激しい抵抗感を覚えた。というのも、日本人として帰化した元外国人力士たちに対し、この言葉はこれ以上ない無礼だと思ったからである。

筆者が見るに日本人として帰化した力士たちは、日本の街なかで見かける日本人以上に日本人であると思う。当然だ。日本の伝統的な格闘技である角界に見を晒し、何年も厳しい鍛錬の日々に耐え、結果を出してきたのである。その上、故郷の国籍を捨て日本人となった、日本に対する思い入れが特に強い人達であるに違いない。これ以上の日本人もないのではないかと思うほどである。

その彼ら日本人力士と差別するためにわざわざ「日本出身の力士」という言葉を登場させたとしか思えないのである。それは角界の都合なのかも知れない。異国出身力士が上位を占めるようになり、実入りも少なくなってきた。「日本出身者」という、ひん曲がった愛国心に火を灯すことでしか、人気回復を望めなくなった結果の表現なのかも知れない。もしそうなら「哀れ」という言葉がとても似つかわしいと思う。

日本に帰化した力士たちをどうして「日本人の力士」として素直に認められないのであろうか。彼らの言行に問題があるならば、根気よく諭せばいいだけの話ではないのか。日本という国家から日本人として認められているにも関わらず、一般の認識下では依然として「ガイジン」というレッテルが残り、なんだかよくわからない「日本出身の力士」を影から求めている。

 

こうした現象を見ていくと、そもそも日本人とは何なのかという素朴な疑問にどうしても辿り着く。「JAPANESE ONLY」と掲げた人はどのような人たちを入れるつもりであったのだろうか?どのように異国人と区別するつもりであったのだろうか?日本人という「ブランド」に偏ったこだわりを持つ人たちに、是非とも彼らの考える「日本人像」を聞いてみたい。

以前も書いたが、こうした抽象的な絶対性に価値を求める言動は、物事を見る視野を必ず狭める。

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それだけではない。絶対的な価値はその純度が高いほど価値も高くなり、どうしても純度の高さを求めていく傾向にもある。どういうことかといえば、どこかの段階で必ず「不純物の排除」が内部で行われはじめる。それは悲劇が横行する暗黒な世界であることは容易に想像できる。

人間や種族を分かつ言葉を使う時はビクビクする必要はないが、慎重な姿勢と丁寧な説明は必要だと筆者は思う。そのバランス感覚を持ち合わせた人が日本に少なくなっているのがとても気になる。