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異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

ポエムにすがるのは現実を見つめないためにある

以前から意識の高い学生や社会人について違和感を持っていた。

「超絶!ポエム化する社会」②意識の高い学生(笑)とポエム

もうかなり昔のことであるが、筆者が新人であった頃の先輩で「意識の高い」人がいた。「それは社会人の取る行動として違うでしょ」、「これぐらいやるのは社会人として当然だよね」といった言葉をよく使う人で、内情を知らない傍目から見ると本当にとても「意識の高い」社員に見えたと思う。会社に入った当初は、その言葉通りを受け取り、すごい人も社会にはいるものだとちょっとした感銘を受けたのを覚えている。かぶせるようにメモやノートの取り方もすごかった。ほとんど一言一句、上司・講師の言うことをメモしており、ある意味ノート自体は充実していたのだろう。

しかし実務における周囲の評判はすこぶる悪かった。言われたことをできない、一応できていたとしてもピントが外れている、成果物の品質は低いなど、聞こえてくる評価は散々であった。結局のところ彼は、姿や格好、言葉などはすばらしい飾りで固めていたが、それに伴う行為や結果は散々のまま会社から消えていった。

今考えると彼の言動は、彼の「在りたい理想像」であったのだと思う。それを強く求めるあまり、どこかで無理が生じていていたのではないだろうか。本来であるならば、一歩々々実現に向けて歩むところ、一気に階段を駆け上ろうとしたために、躓き、転び、その結果出てくるもののほとんどが使用に絶えないものだったのだ。

これに近いものを「意識が高いポエム好きな人」たちに感じる。彼らの求めているものは今ある自分の姿からかけ離れたもので、今の自分の姿が見えていない。自分の理想像に到達するまで数多のタスクやハードルがあるにもかかわらず、口にするポエムであたかも到達したかのような錯覚に陥っているような印象を受ける。

志を高く持つことは決して悪いことではないが、それに酔うとなると話は別だ。酔うだけでは決して結果は伴わず、それどころか身の破滅を招くだけの害毒でしかないと思う。結局のところ、今の自分でできることの幅を少しづつ広げていく方法でしか、自分を伸長することはできないのだ。「仲間」、「夢」、「絆」などの自意識を酔わせる言葉だけでは何も生み出さない。

ポエムにすがることで意識は変わる、もしくは洗脳されるのかも知れない。だが、今までの経験や結果が劇的に変わることはまずありえない。そこの認識から始めないと、ブラックな組織に骨の髄まで利用されるだけという、悲惨な結果を招きかねないことを、意識高く認識すべきだと思う今日この頃なのです。