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異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

イルカやクジラだけが本当に特別なのか

旅行に出ていたので更新が久しぶりになりました。

なぜイルカだけが特別なのか? 日本のイルカ漁をイタリア版「WIRED」が擁護する « WIRED.jp

最近、駐日アメリカ大使であるキャロライン・ケネディ氏がイルカ漁についてコメントしていたが、この話はずいぶん昔から続いている。欧米ではイルカ/クジラ漁は野蛮、もしくは残酷だとして反対の意見を表明している著名人も多い。Sea Shepherdなどの反捕鯨団体が最新鋭のボートを調達したりすることが出来るのも、それなりの「スポンサー」がバックについているからであろう。

論理的に考えた場合、イルカ/クジラ漁が野蛮だというのは先ず以ておかしい。引用した記事にもある通り、豚や牛を食べることは野蛮ではないのか、彼らには知性がなくイルカ/クジラにはあるとどう証明できるのか、という議論に必ずつながる。そしてその疑問に対し、論理的に説明できている文章に少なくとも筆者は出会ったことはない。

筆者の考えでは、この問題は「論理的に考える」ということに対してもはや焦点はないのだと思う。論理的整合性や、捕鯨国の文化的背景などはどうでもいいのである。論理的整合性に焦点を当てようとする努力は当然継続するべきであると思う。それと同時に「捕鯨は野蛮な行為である」というイメージの定着をさせない運動も並行して行う必要があるのではないか。日本人がこうした運動や宣伝を対外的に行うのは苦手な分野であるのは否めないところだが、おそらく相手方の焦点はこのイメージ戦略にあるのだと思う。

 

古今東西、自分たち以外の民族や民衆に対し、野蛮、残酷、無礼、不潔などの「負のイメージ」を押し付けた例は枚挙にいとまがない。それは仮想敵や忌避すべき存在を作っておくと、それなりに当事者たちにとって都合のいいことだから行われる。相手方にどこか「負のイメージ」を定着しておけば、それを突破口にさまざまな大義名分を作ることが可能となるからだ。

米国大使がイルカ漁についてコメントしたということは、その背後にある動機についても多角的に見なければならないと思う。同一事象についての問題提起だとしても、どこぞの監督が日本のイルカ漁についての映画を発表したのとは違った次元で捉えておくべきだ。その動機の一つには日本を野蛮国として認定しても構わないのだぞ、というメッセージが含まれているのではないだろうか。このコメントが出されたときには周辺諸国、および米国との関係にも決して良好とは言えない状態が続いていた。

イルカ漁、捕鯨は人間以外の生物とにおける倫理学的な問題ではない。いたって人間中心の政治学的な問題なのだと思う。一皮剥けば「イルカを殺すのはかわいそう」などといったナイーブな議論では全くなく、「かわいそうだ」という御旗を掲げながら、その内容は外交政治闘争が行われているだけなのだ。

イルカ漁や捕鯨から少し距離をおきながら、別角度からこの問題は見ていく必要があると思う今日このごろである。