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異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

不寛容であることを当然視する社会に明日はあるのか

thinking living abroad

この手の事件、いつも話題になるので少し言及しておきたい。

超混雑だった東海道新幹線の乗客が「立っているお年寄りをグリーン車に乗せるべきだ」とツイート→炎上
http://matome.naver.jp/odai/2138874851318942501

車掌さんたちにも規則があるだろうから、そう簡単にグリーン車を開放できないのはある程度理解できる。ただしそうであるなら今回の事態から学んで、お年寄りや子どもに対して、通常運行と異なる事態が起きた場合においては規則を緩和する処置などを盛り込んではどうだろうか。どのような場合でも杓子定規な対応しかできないようでは、別に人間が行わずともシステムなどに全て任せるほうが安上がりかつ効率的だ。逆に今後も改善もされず、このような対応しかできないのであれば電車の乗務員としての仕事はシステムに「取って代わられてしまう」運命線上にあるのではないかと危惧してしまう。乗務員の仕事はそんなに質の低いものだったのかと。

またネットで炎上する理由もわからない。問題提起したこの女性が責められるのは明らかに方向性を間違えている。この人を責めたところで何も変わらないし、世の中が住み良くなっていくわけでは決してない。炎上させている人たちがしたいことの真相は、言葉による集団リンチというダークな暴力願望に根ざした薄汚い自己満足である。「みんながツイートしているから正しい」という倒錯した方向性から特定個人を苛め抜くという、幼稚で生産性の全くない、人として恥ずべき行為だ。

この場合の生産性ある行動とは、鉄道会社に異常事態時には基準の緩和を働きかけるなど、問題の本質から直そうとする動きだが、そうした動きがほとんど見られないことが本当に残念だ。寛容性のない、一方的な非難に騒ぐそのマインドに大いなる疑問符を付けざるを得ない。

私が滞在した/している米国や英国では、こうした事態が起きた場合、とても柔軟に動く。子ども、障害者、お年寄り、妊婦など社会的に立場の弱い人が優先されるのは言うまでもない。中には規則違反をしてまで弱者を補助しようとする車掌さんも現れるかも知れない。それほど困っている人や立場の弱い人を助けようとする気概をそこかしこで見かけることができるのだ。

以前日本のネット上で、公共交通機関に赤ん坊を載せるのは非常識といったことで議論になったことがある。赤ん坊が泣き出すと、ほかの乗客が迷惑するからだと。
こうしたことは住んでいた外国では議論にすらならない。なぜならそもそも赤ん坊は泣くもので、かつて自分もそうであったことをしっかり認識している。そして社会でこれから「大人」になっていく子どもたちをサポートしていこうという気概を持ち合わせているからである。この認識と覚悟が前提にあれば、議論として成り立ちようがないのだ。

特定個人を非難する前に今一歩引いて自分のしようとしていることを振り返ってみてほしい。みんながやっていることの方向性が必ずしも正しいとは限らないものである。問題の本質はどこにあり、自分が本当にすべきことは何なのか自問自答する姿勢を持てるように願ってやまない今日この頃である。