異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

日本的な「疲れ」が日本を拙くする

石田衣良氏の作品は前から好きで、特にエッセー集が秀逸だと思っている。その彼の分析記事。

石田衣良氏 「右傾エンタメ作品」ばかりが売れる社会を分析
http://www.news-postseven.com/archives/20140103_234266.html

この記事の中で日本の若い人たちが疲れていると示唆しているが、全くその通りだと思う。余裕のなさというか、カラ元気で振る舞っている様子は遠く異国の地からも感じる。こうした違和感は客観的に数値化するのは難しいが、肌感触ではどことなく伝わってくるものなのだ。

日本人はすさまじく働いている割には成果はパッとしない。あそびがない上に、無駄な部分に心血を注ぎすぎているのではないだろうかと思うところがあったが、その考えを裏付けてくれる記事を見つけた。

なぜ日本の伝統的メーカーは「エラい人のキーワードでモノつくる構造」を早くやめられないのか
http://engineer.typemag.jp/article/post_39

自分たちの作りたいものが作れない上に、ユーザの目線にすら立っていない「独りよがり製品」が出来上がってしまっている構図がここから伺える。記事にもある通り、スマホと洗濯機を連携させる必要性が私にもどうしても浮かばない。単なる流行から全く異なる属性と機能を持つ製品を無理矢理合体させて商品化したとしか思えない。

こうした社内の「政治的な力」でゴリ押しされる経験は私もよくある。全く持って仕事が無駄な時間と徒労に終わるその疲労感たるや凄まじい。これが「仕事」と割り切るのも大切なマインドだが、それでもはっきり言えるのは、こうしたやるせなさが「疲れ」ている日本人を多く「生産」していることは間違いないと思う。

人は疲れれば休みたくもなるが、さらに「単純」な活動を求めがちにもなる。考えさせられる知的な活動や動きが多い運動などは敬遠する傾向になり、安易に楽しめるバラエティ番組やゲームなどに趣向は向いていく。理解するのにエネルギーを使う意見は煙たがられ、単純明快で善悪などの白黒がつけやすい意見や事象に興味の対象は移っていく。大雑把ではあるが、こうした文脈から国民の右傾化だったり、幼稚な認識力が表面化するのではないだろうか。

もちろん仕事に対して面白味を感じて人間性を豊かにしている人もいれば、独立してやりたいことをしている方々は多くいる。そのような道に歩みだせば無駄な「疲れ」をせずに済むのも理解できるが、すべての人に適用できるものでもないと思う。まずは自分なりにこの日本的な「疲れ」を少なくするには何をすればよいかを考えることが、明日のための一歩になるのではないだろうか。