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異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

「強い日本」の明日

人間社会が成り立つ上での根幹としてなければならないのは弱者を助ける思想だと思う。

何が餓死した31歳女性の生活保護を遠ざけたのか 生活困窮者を見捨てる「追い返す」だけの対応
http://diamond.jp/articles/-/45141

生活保護は最後の砦として、どのような人でも弱者になったときに機能しなければならないはずなのに、現実はそうではない。一度弱者になったものはそこに固定化、助けも与えず、互いの足を引っ張るような空気を醸成する仕組みが今の日本にはあるのではないか。生活保護関連で2ちゃんねるなどの反応を見ると気分が悪くなるほどそれを実感してしまう。

生活保護の不正受給を取締り強化せよという声もよく聞く。だが実際、不正受給が全体に占める率は0.38%だという。

生活保護の不正受給
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E6%B4%BB%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E3%81%AE%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E5%8F%97%E7%B5%A6

この0.38%のためにどれだけの職員を雇い、残業をさせ、目標0%を目指すのだろうか。「骨折り損の草臥れ儲け」ならまだマシで、莫大な出費が見込まれるのは間違いない。確かに不正受給は悪いことである。だが、目の前の些事に捕われるのではなく、背後にある大きな問題から優先順位をつけて片付けていくのが筋であり、不正受給取締強化を叫ぶ人は問題の本質が見えない人たちである。

弱者同士を固定化しておくことは強者にとって都合がよい。自分たちに批判の矛先が向かないよう弱者に同士討ちをさせ、 その隙に搾取が可能だからである。この結果、強者はさらに富み、弱者はさらに貧しくなる。だがこの連鎖は奪われる者がいてはじめて成立するものである。弱者から搾り取るものがなくなった場合、次に向かう先はさらなる弱者を作り出すことである。つまり自分よりも力の弱い強者であった仲間を弱者に仕立てることでこの不毛な奪い合いは理論上、最後に立つ一人まで続いていく。これが強者の目指す社会形態である。いや、この仕組みでは集団そのものが弱められるため、社会として体をなさないことからも「社会形態」とは呼べないシロモノだろう。

逆説的に考えるならば、社会とは弱者の保護なしには成り立たないものと言える。弱き者も問題少なく暮らせるシステムこそ目指すべき社会であり、その結果多様な人間が育つことによる、しなやかで、想定外要因にも即時かつ柔軟に対応できる社会にはじめて発展できる。

今、日本の目指している方向は「強い日本」だという。現在の状況でそれを意訳すれば「強者の日本」と解釈するよりほかはない。明日の「強者」はさらにその先にある「己の弱者像」をイメージできているのだろうか。