異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

"Disappointed"な空気が読めない国

昨日の続きとなってしまうことは否めないが、大変興味深い記事であったので、記載しておきたい。

米国の“Disappointed”はどれくらいの事態か
http://knagayama.net/blog/2013/12/28/how-disappointed-is-disappointed/

このブログの著者は"Disappointed"という単語がどれぐらいの頻度で米国大使館の公式声明で登場するか、またどういった背景から登場しているかの分析を行なっている。そしてまとめとして、

同盟国に対して米国が失望 disappointment を表明することは異例である。

としており、可能性は低いとしながらも、もしこのままナショナリズムが加熱すれば明確な敵対国に使用される"condemn"の単語が登場するのではないかと危惧する。

最近の日本の外交やネットでの反応を見ていると、世界からの孤立傾向にあるのではないかと思う。少なくとも言えるのは、「アジア地域の流れ」に逆行する言動を繰り返しているようにも見える。これはわからないでもない。中国が世界第二位の経済大国となり、米国のプレゼンスも低下、日本としての存在価値をどうにか示したくても示せない、何やら「足掻いている」感が漂う。その足掻きが、大国の思惑と異なる方向を向いていると思う。

「大国の思惑」に無理やり同調する必要性もないと思うが、「自己の現在立ち位置」は確認しておいた上で行動する必要性はあると思う。駄々っ子のように我侭を通そうとするのも一つの外交手段ではある。かの「北の国」がその手段を用いているが、そのマネをしたいのであれば世界からそれなりの「制裁」を覚悟しなければならないのは周知のとおりだ。

日本は外から見ると閉鎖性の強い国である。自然に任せてしまうと、たちまち「鎖国」へと流れてしまうのではないかとよく頭の片隅をよぎる。働き方一つとっても「日本式」へのこだわりはかなりのものがある。外国に現地法人を持つ日本企業では、日本式の働き方を現地スタッフに押し付けるようなことは少ないと思う。だが、現地のやり方に学ぶ姿勢を持つ者もまた少数である。自分たちのやり方が「ベスト」であると思い込み、現地スタッフの「ベター」な働き方を陰ながら嘲笑することも少なくない。グローバル化が叫ばれて久しいが、企業文化や人の合流が活発な、真の意味での「日本発グローバル企業」は実はとても少ないのではないかと思う。

「自分たちの空気」のみを読む閉鎖性は世界からすれば"disappointment"でしかない。孤立した先には何があるのか、その具体像が浮かばないようでは"condemn"の明日が待ち受ける。