異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

コーディング技術とシステム

オバマ大統領は若い世代にコーディング技術を習得してもらいたいらしい。これを見て少し考えてしまった。

日本語訳掲載サイト
米大統領「全ての人よ、プログラミングを!」
http://life-is-tech.com/blog/programming/messagefrompresidentobama-5843

今までコーディングを習得しようと前向きな姿勢で取り組んだことはあっただろうか。自分の答えは「否」である。学習しようと何度も挑戦して挫折してきた。コーディングが自由に出来たらどんなに人生が拓けるのかもわかっていながら。だが、私の場合「学習」する姿勢では全くと言っていいほど身につかなかった。

そして学んだのは「必要に迫られて」はじめて取り組む姿勢になるということだった。自分のやりたいこと、やるべきことが先ずありきで、それを実現するために「コーディングが必要」だったのに過ぎない。やるべきこと抜きでのコーディング技術は全く上達しなかったのが自分の技術者(技術者失格?)として歩んできた道である。趣味やパッと考えついたことでコーディングができる人たちが正直ちょっと羨ましく、尊敬の念もいだいてしまう。

誤解のないように言うと決してコーディングが嫌いというわけではない。コードを書いている最中は食事も忘れて熱中していることもままある。コーディングが楽しいことは決して否定しない。ただ自分の場合楽しくなるまで、腰が重く、とても後ろ向きな習得であることは否めない。

その代わりと言っては何であるが、システムの全体像や各システム間の関連を把握するのは前向きに好きである。各々のシステムがどのように振るまい、その結果、エコシステム全体としてどのように流動している/いくのかを見ていくのは実に楽しい。システム間ギャップを埋めるソリューション、ツール探しもなかなか捨て難い興奮が味わえる。

車輪の再発明をするのは決して悪いことではないと思うが、自分にできないこと/プロジェクトリソースに無理が生じることに対しては、他人の知力をふんだんに、そして遠慮無く使うべきだと思う。自分のコーディング能力は決して高くないが、このことがかえって他人の知力や助けを借りる場面を多くしているのではないか。そしてコーディング学習だけでは学べなかったモノの見方や自分とは違った視点への理解も少しずつだが拓けてきたようにも思える。(もっとも、こんな私を助けてくれている人たちは迷惑がっているかも知れないが・・。)

冒頭でオバマ大統領が言っていることは正しい。コードを書いている人たちがITの世界を拡げているのは確実だ。だがシステムを紡いで行く者たちにとってそれだけでは不十分である。明確な目的と多くの知力の結集から、明日のシステムが出来上がることを多くの人に知ってもらいたい。