異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

コメントの偏りは思考欠如の序章か

「右」や「左」で人の意見を分別するのは好きではないし、時代錯誤だとも思う。しかし最近のコメント掲載が可能なソーシャルメディアや掲示板にある意見の偏りはちょっと酷い。

匿名じゃなくてもネットは怖い
http://toyokeizai.net/articles/-/25387

いわゆる「右寄り」や「ネトウヨ」と呼ばれる意見が多数を占めるのは「ヤフコメ」だけではない。以前までよく使っていたmixiにもその傾向が見られる。ここ最近その「偏り」に嫌気がさして近寄る頻度が減っていった。私に限らずこうした理由により離れていくユーザは多いのではないだろうか。

偏りが激しい意見を俯瞰すると、以下の特徴が上げられると思う。

  • 中国、韓国、日教組、既存マスメディア、一部宗教団体に敵意を持つ
    在日韓国人などにも尋常でない敵意を持つ。それに伴い、在特会などのレイシスト団体を支持する。自分たちの意見に対立する勢力は、上記組織のどれかに属しているとの強い思い込みがあり、罵倒コメントを連続させる傾向もある。
  • 憲法改正や軍備増強の方針を支持する
    現行憲法は「押し付けられた憲法」であるという認識を持ち、それが原因で「普通の国」になることができないという強迫観念にも似た価値観を持つ。また軍備増強やその関連法を充実させることでしか周辺諸国に対抗できないという一方的な認識も併せ持つ。
  • 日本国・皇室崇拝
    日本人であるからには日の丸や皇室は「崇め奉らなければならない存在」と無条件・無批判に信じ、その共通認識がない立場の人には、人非人扱いとも取れる罵倒コメントを残す。

列挙したこれらは特徴の全てではないが、当たらずとも遠からずではないだろうか。そしてこれらにも増して顕著だと思うのは、コメントのような短文での投稿は得意であるが、長文になるとその投稿数は大きく減る傾向にあると思う。たとえ長文であったとしてもその文章は拙く、論理性に欠けるものが多い。どちらかというと恐怖心や感情、そして「場の空気」を共鳴させるものが大多数を占める。これらは深慮に欠け、物事の一面のみから短絡的に判断していくことを好む人間には受け入れやすいやり方である。

多数の意見で方針を決めていくのが民主主義であることは否定しない。だが異なる意見をまるで受け付けず、罵倒するが如き表現で貶めていくのは断じて民主主義ではない。また「場の空気」を煽ることで、あたかも「統一見解」かの如く振る舞うコメントの嵐は冷静な思考の阻害でしかない。

正直これらのコメントのみを読んでいたら、どこの全体主義国家かと疑う。幸いそうではない冷静で論理的な意見もネット上には散見されることで、かろうじてまだ意見のバランスを世界にも示せているのだと思う。しかしそのバランスも薄氷の上に成り立っていることを多くの人が再認識する必要があると思う今日この頃である。