異国見聞私書録

異国から見たこと感じたこと気になったこと。そして時折テクノロジーのお話。

Amazon Prime Airに見る近未来

すでにいろいろなところで紹介されているが、Amazonが「空輸」を検討している。しかも「Drone」で。

Amazon Prime Air
http://www.amazon.com/b?ref_=tsm_1_tw_s_amzn_mx3eqp&node=8037720011

Amazon Prime Air - YouTube

米国ではさまざまなものを「自動化」、「機械化」するスピードが早い。セルフレジ、Roomba、自動運転車(開発中)、etc..... 日本でも2〜3年遅れで採用されるものあるが、今回のAmazonの試みはどうなるだろうか?ちなみに英国では米国に遅れること3〜5年で採用といった印象を受ける。

以前、聞いたことがある。基本的に米国では小売店の従業員が信用されていないと。倉庫から小物をくすねる従業員が後を立たず、そのための管理としてRFIDが普及させたと。名目はもちろん「物品・在庫管理」だが、その真の目的は従業員の「盗み防止」にあったらしいと。

この流れから流通・配送の段階でも不正・不作為が後を立たないと想像できる。現に荷物を投げる配達業者がいることや、留守中であれば荷物を野ざらしにされた経験が自分にもあった。指定時間通も大雑把で、配送予定時刻は日本のように時間単位(現在では分単位?)ではなく、「午前」や「午後」といった非常に曖昧なものであった。そしてその曖昧な時間ですら当てにならなかった。

要は人に任せると「ろくでもない」ことが多々起きるのが、米国のある一面の姿でもある。彼らの名誉のために言っておくと、ほとんどの業者は真面目によく働く。しかし一部でも、一回でもこうした経験したお客が存在すれば、その信頼は大きく失墜するのがビジネスだ。しかもそれが客1人当たり、2回以上の出来事となると、経営者にとっても捨ておけない問題になるのはある意味自然の流れだ。

そうした背景から登場したのがこのAir Primeサービスではないだろうか。人の手をできるだけ介在させず、機械に配送させたほうが米国では信頼性が高いと考えたのではないだろうか。Droneが起こす事故賠償額など、人が起こすトラブル賠償額に比べたら大したことがなさそうだと算盤を弾いたのだと思う。その結果、人が行う仕事がこうしての一つずつ消えていくのである。

そう思考を巡らせていたら、以下の記事を見つけた。

機械化が進んでも案ずるな。人間にしかできない仕事はある
http://www.lifehacker.jp/2013/12/131201kotaku_jobs_that_robot.html

ここに書いてあることは一面正しいと思う。だが、ここの書かれている仕事はどれもかなりの高度な技術や知識を必要とするものだ。「質」という面においては人間にしかできない仕事はこれからも残ると思うが、「量」の面においてはどうであろうか。

誰しもが「質」の高い仕事をできるわけではない。「質」が伴うにはそれなりの教育と、それを持続し、長期にわたって運営可能な環境が必要である。そうした教育を受けられる環境下にある人間は先進国と言われる国を見回してもそう多くはいない。必然、そうした教育が受けられない人たちは「量」の仕事、つまり単純労働に従事する可能性が高くなる。その単純労働が機械に取って変わられていた場合、それでもその人達に「人間にしかできない仕事はある」と言い切れるのだろうか。
もしAmazonや他の企業が「人の手をできるだけ介在させず」という目標を持っているとするならば、そもそもそれは「単純労働の人手は要らない」ことを意味し、同時に「人余り」が発生することを意味するのではないだろうか。

注意して欲しいのは、企業がビジネスを機械化をすることを否定しているわけではない。サービスが向上するのであればむしろ推奨したい。だが、同時に企業の論理だけでなく、社会制度設計を併せて考えておかないと格差がさらに大きく二分した歪な社会が形成されるのではないかと、明日のことを考えてしまう。